📖 ケーススタディ — 物語で学ぶ会計
資金繰りのピンチと手形割引 — 拓海、『時間を買うコスト』を知る
月末の大口支払いに当座預金が足りない。眠っている受取手形を裏書・割引して危機を乗り切る中で、拓海は手形売却損の意味を学ぶ。
「支払えないかもしれません」
株式会社アオバ商事、経理部の朝。新卒1年目の拓海(たくみ)は、資金繰り表を前に青ざめていた。
月末に迫った大口の支払いは、仕入先3社あわせて1,500,000円。ところが当座預金の残高は600,000円しかない。得意先からの大きな入金は、どれも来月の予定だ。
「佐伯課長、あの、月末の支払い、足りません……」
経理課長の佐伯(さえき)は資金繰り表を一瞥すると、意外なほど落ち着いていた。
「慌てない。うちには眠っている債権があるでしょう。受取手形のファイルを持ってきて」
ファイルには、得意先から受け取った約束手形が数枚。どれも満期はまだ先だ。
「満期まで待てば満額もらえるお金。でも、うちに必要なのは今月のお金。だったら、この手形に働いてもらうのよ」
一手目 — 裏書譲渡、手形で手形を払う
「まず、ミナト工芸への買掛金300,000円。これは現金を使わずに済ませる」
佐伯課長が抜き出したのは、コハク百貨店から受け取った額面300,000円の約束手形だった。
「手形の裏面に署名して、ミナト工芸に支払いとして渡す。裏書譲渡よ。手形を受け取る権利ごと、そっくり相手に移す」
借方(左)
貸方(右)
「当座預金が1円も減ってない……」
「そのかわり、満期にお金を受け取る権利も消えた。権利と義務の交換ね。これで残る支払いは1,200,000円」
二手目 — 手形割引、銀行に時間を売る
「次はこれ。リビングポートの約束手形、額面800,000円。満期は2か月後」
「2か月後じゃ間に合いませんよ」
「だから銀行に買い取ってもらうの。満期前の手形を銀行に持ち込んで換金することを、割引という。ただし、タダでは買い取ってくれない。満期までの2か月分の利息に相当する割引料を差し引かれる」
銀行の条件は年利6%。割引料は800,000円 × 6% × 2か月 ÷ 12か月 = 8,000円。手取りは792,000円になる。
「この8,000円は、手形売却損という費用で処理する。手形という債権を、額面より安く売ったということ」
借方(左)
貸方(右)
拓海は引っかかった。
「せっかく800,000円もらえるはずなのに、8,000円も損するんですか。もったいなくないですか」
「じゃあ聞くけど、満期まで待って支払いが遅れたら、どうなる?」
「仕入先の信用を失って……最悪、取引停止……」
「そうよ。8,000円は損というより、2か月という時間を買うための代金。お金には時間の価値がある。今日の792,000円と2か月後の800,000円が同じ価値だと銀行は言ってるわけ。資金繰りの世界では、時間はいつも有料なの」
三手目 — 電子記録債権も譲渡できる
それでも支払いにはまだ届かない。佐伯課長は端末で債権の一覧を開いた。
「最後はこれ。スミレ産業に対する電子記録債権500,000円。紙の手形と同じように、これも譲渡してお金に換えられる。今回は495,000円で譲渡する」
借方(左)
貸方(右)
「考え方は手形の割引と同じ。額面との差額5,000円は電子記録債権売却損。紙か電子データかの違いだけで、債権を満期前にお金へ換えるコストという本質は変わらない」
拓海は電卓を叩いた。当座預金600,000円に、割引の792,000円と譲渡の495,000円が加わって1,887,000円。裏書で買掛金300,000円は消えたから、残る支払い1,200,000円には十分足りる。
「借金とどう違うんですか」
一息ついた拓海に、もうひとつ疑問が浮かんだ。
「お金が足りないなら、銀行から普通に借りる手もありますよね。割引とどう違うんですか」
「いい視点ね。借入れなら、当座預金と借入金が両建てで増えて、返す義務が残る。割引は受取手形という持っている債権を手放して現金化するから、あとで返す義務はない。貸借対照表の姿がまったく違うのよ」
「じゃあ、割引した手形が満期に落ちなかったら……?」
「振り出した相手が払えなければ、うちが銀行に代わりに支払う義務を負う。だから割引や裏書は、相手の信用があってこそ。手形は結局、振出人の信用を回していく仕組みなの」
数字の向こうの約束
支払いをすべて終えた月末の夕方、経理部に日野(ひの)が顔を出した。
「拓海、今月ヤバかったんだって? 悪いな、うちの得意先、入金サイトが長くてさ」
「日野さんの取ってくる大型案件、売上はすごいんですけど、現金になるのが遅いんですよ……」
「売って終わりじゃなくて、回収して終わり、か。次の商談じゃ支払条件も詰めてくるわ」
日野が去ったあと、拓海は佐伯課長に頭を下げた。
「手形って、満期まで金庫で寝かせておくものだと思ってました」
「債権は持っているだけでは何も生まない。いつ現金化するかを選べるのが手形や電子記録債権の強みよ。ただし早く換えれば、そのぶん売却損というコストがかかる。経理の仕事は、そのコストと支払いの期日を天秤にかけること」
佐伯課長は資金繰り表の来月の欄を指でなぞった。
「それと、今回の教訓。資金繰りのピンチは、月末に気づいたら手遅れなの。来月からは資金繰り表、毎週更新しなさい」
「……はい!」
この物語の学び
- 受取手形は裏書譲渡すれば買掛金などの支払いに充てられる。仕訳は買掛金(借方)と受取手形(貸方)
- 満期前の手形を銀行で換金するのが割引。差し引かれる割引料は手形売却損(費用)で処理する
- 割引料は「額面 × 年利率 × 満期までの月数 ÷ 12か月」で計算する
- 電子記録債権の譲渡も考え方は同じ。額面との差額は電子記録債権売却損
- 売却損は単なる損ではなく、満期までの時間を買うコスト。資金繰りとセットで考える
物語で流れをつかんだら、教材で手形と債権譲渡の処理を整理し、問題集で手を動かしてみましょう。
