会計マスター

📖 ケーススタディ — 物語で学ぶ会計

残業手当はどの製品のコストか — 紗希、賃率差異と向き合う

残業続きの月、給料日と月末のずれに悩む紗希。直接工の作業時間記録と要支払額の計算、そして賃率差異が教えてくれるものを描く物語。

残業続きの6月

大口の受注が重なった6月、ミナト製作所の現場は連日残業だった。25日の給料日、紗希は直接工への賃金支給の仕訳を切った。支給総額2,350,000円、源泉所得税などの預り金が200,000円だ。

6月25日 直接工賃金の支払い(給与計算期間: 5月21日〜6月20日)

借方(左)

賃金2,350,000
合計2,350,000

貸方(右)

当座預金2,150,000
預り金200,000
合計2,350,000

「よし、今月の労務費は2,350,000円、と」

「待った」

背後から郡司さんの声が飛んだ。

「広瀬さん、その2,350,000円はいつ働いた分の給料だい?」

「え? 今月の……あ」

給与明細の対象期間は5月21日から6月20日。つまりこの支払額には5月の後半に働いた分が混ざっていて、6月21日から30日に働いた分は入っていない

「原価計算は月初から月末までの1か月で区切る。給料の締め日とはずれてるんだ。だから支払った額と、今月の原価にすべき額は別物なんだよ」

要支払額という考え方

郡司さんはホワイトボードに線を引いた。

「今月の原価にすべきなのは、6月1日から30日に働いてもらった分。つまり当月の要支払額だ。計算はこうする」

当月の労務費(要支払額)の求め方
  1. 1当月の支払額からスタートする(2,350,000円)
  2. 2前月未払分(5月21日〜31日に働いた分 350,000円)を差し引く
  3. 3当月未払分(6月21日〜30日に働いた分 450,000円)を足す
  4. 4要支払額 = 2,350,000 − 350,000 + 450,000 = 2,450,000円

「残業が多かったから、月末側の未払が膨らんでる。支払ベースだと2,350,000円だが、働いてもらったベースだと2,450,000円。これが今月の実際の消費額だ」

作業日報が原価を仕分ける

「じゃあ2,450,000円を仕掛品に……」

「まだ早い。直接工の賃金でも、全部が直接労務費になるわけじゃない。ほら、これを見な」

郡司さんが取り出したのは、直接工が毎日つけている作業時間報告書の束だった。誰が、どの製造指図書の仕事を、何時間やったかが記録されている。

「6月の集計だと、ギアやハブを実際に加工していた直接作業時間が1,800時間。段取り替えや機械の清掃、材料待ちの手待時間なんかが合わせて200時間。直接作業の分だけが直接労務費で、あとは間接労務費だ」

「賃率は……要支払額の2,450,000円を2,000時間で割るんですか? でもそれだと月末まで計算できない……」

「材料のときと同じ知恵を使う。予定賃率だ。うちは年初に1時間あたり1,200円と決めてある」

紗希はペンを走らせた。直接作業1,800時間×1,200円で2,160,000円が仕掛品へ。間接作業200時間×1,200円で240,000円が製造間接費へ。

予定賃率1,200円による賃金の消費(直接作業1,800時間・間接作業200時間)

借方(左)

仕掛品2,160,000
製造間接費240,000
合計2,400,000

貸方(右)

賃金2,400,000
合計2,400,000

50,000円のずれの正体

「予定で消費した合計は2,400,000円。でも実際の要支払額は2,450,000円です。50,000円足りません」

「それが賃率差異だ。実際が予定を上回ったから借方差異、つまり不利差異だね」

予定2,400,000円と実際2,450,000円のずれを賃率差異へ

借方(左)

賃率差異50,000

貸方(右)

賃金50,000

賃金

当月支払2,350,000
当月未払450,000
前月未払350,000
予定消費額2,400,000
賃率差異50,000

「賃金勘定の左右がぴったり合った……。でも、なんで50,000円もずれたんでしょう」

「残業だよ。残業には割増賃金がつくだろう。予定賃率1,200円は普段の操業を前提に決めた単価だから、残業が増えた月は実際の賃率が上がって、借方差異が出るんだ」

工場長の憂鬱

月次報告の席で、大森工場長は腕を組んだ。

「残業を指示したのはわしだ。納期を守るためだ。それが『差異』とやらで赤字扱いされるのは心外だな」

「赤字扱いじゃありません」と紗希は首を振った。「差異は犯人捜しの道具じゃなくて、予定とのずれを見える化する道具です。今回の借方差異50,000円の中身は残業割増だと分かっています。納期を守るための50,000円だったと説明できます」

「ほう……」

「逆に、原因の分からない差異が出たときこそ問題です。作業日報の記録が正確だから、差異の中身まで説明できるんです。現場のみなさんが毎日つけてくれている日報のおかげですよ」

工場長はふっと表情を緩めた。

「日報なんぞ面倒なだけだと思っとったが……あれは現場の弁明書にもなるわけか。おい郡司、来月から日報の書き方、若いのにもう一回叩き込んでおけ」

この物語の学び

  • 給与計算期間と原価計算期間はずれている。当月の労務費は要支払額(当月支払額 − 前月未払 + 当月未払)で計算する
  • 直接工の賃金は作業時間報告書をもとに、直接作業時間の分だけが直接労務費(仕掛品へ)。間接作業や手待時間の分は間接労務費(製造間接費へ)
  • 予定賃率を使えば月末を待たずに労務費を計算できる
  • 予定消費額と実際の要支払額のずれは賃率差異へ。残業割増などが原因で実際が上回れば借方差異(不利差異)になる

物語で給料日と月末のずれを実感したら、教材で要支払額の計算を整理し、問題集で賃率差異の算定を練習しましょう。