会計マスター

📖 ケーススタディ — 物語で学ぶ会計

ミナト製作所、原価の川を下る — 紗希、工場経理はじめての日

本社経理から工場に異動した入社3年目の紗希。初日の工場見学で「材料・仕掛品・製品・売上原価」というコストの川の流れを体感する物語。

辞令一枚、油のにおいの世界へ

「経理部・広瀬紗希(ひろせさき)。ミナト製作所 工場経理課勤務を命ずる」

辞令を受け取ったとき、紗希は正直、少しだけ落ち込んだ。入社3年目。本社経理で売掛金も固定資産も一通り回せるようになって、商業簿記なら誰にも負けないつもりだった。それなのに、配属先は郊外の工場。自転車のギアやハブを作り続けて創業60年、従業員50名の町工場だ。

初日の朝、事務所で迎えてくれたのは、作業服姿の白髪の男性だった。

「原価計算担当の郡司(ぐんじ)です。よろしく。……ところで広瀬さん、うちの製品、1個いくらで作れてると思う?」

「え? 仕入……じゃなくて、材料費、ですか? 材料の値段なら伝票を見れば」

「材料の値段だけじゃ作れんのだよ、ギアは」

郡司さんはにやりと笑って、ヘルメットを差し出した。

「まずは現場を見よう。工業簿記は、工場の中を流れる川を記録する簿記だからね」

川の始まりは材料倉庫

工場の一番奥、アルミ材や鋼材が整然と並ぶ倉庫から見学は始まった。

「ここが川の源流。買ってきた材料は、まず材料という勘定に入る。本社で商品を仕入れたら仕入勘定に入れてただろう? あれと似てるが、決定的に違うのは——うちは買ったものをそのまま売らないってことだ」

先週入荷したアルミ材の請求書を、郡司さんが見せてくれた。

アルミ材などの購入 500,000円

借方(左)

材料500,000

貸方(右)

買掛金500,000

「ここまでは商業簿記と同じ顔をしてるね。問題はこの先だ」

現場は「作りかけの箱」

倉庫を出ると、切削機械の音が響く製造現場に出た。機械の脇には、加工途中のギアが山積みになっている。

「材料が現場に払い出されると、勘定の世界では**仕掛品(しかかりかん……じゃない、しかかりひん)**に移る。作りかけの製品のことだ」

「材料費が全部、仕掛品に行くんですか?」

「いい質問だ。ギアの本体になるアルミ材は、どの製品にいくら使ったか追いかけられる。これは直接材料費として仕掛品へ。だが機械の潤滑油や軍手はどうだ? どのギアのために使ったかなんて言えんだろう。そういうのは間接材料費として、いったん製造間接費という別の箱に集める」

材料の消費: 直接分は仕掛品へ、間接分は製造間接費へ

借方(左)

仕掛品300,000
製造間接費50,000
合計350,000

貸方(右)

材料350,000
合計350,000

「原価は材料費だけじゃないぞ。現場で働く人の賃金は労務費、電気代や機械の減価償却費は経費。この3つを、製品との結びつきで直接費と間接費に分ける。工業簿記の分類はこれが背骨だ」

直接費(どの製品の分か分かる)

  • 直接材料費: ギア用のアルミ材
  • 直接労務費: 直接工がギアを削った時間の賃金
  • 直接経費: 歯切り加工の外注加工賃

間接費(分けられない・共通)

  • 間接材料費: 潤滑油、軍手
  • 間接労務費: 工場事務員の給料
  • 間接経費: 工場の電気代、減価償却費

「直接費は仕掛品へまっすぐ。間接費は製造間接費に集めてから、まとめて仕掛品へ流す。川の合流みたいなもんだ」

完成品倉庫、そして出荷

午後、完成したギアがずらりと並ぶ完成品倉庫へ。

「検査に合格して完成した瞬間、仕掛品は製品という勘定に生まれ変わる。今月完成した分の原価が600,000円ならこうだ」

完成品の原価を仕掛品から製品へ振り替え

借方(左)

製品600,000

貸方(右)

仕掛品600,000

「そして出荷されて売れたら、売れた分の原価が売上原価になる。売価じゃないぞ、あくまで作るのにかかった原価だ」

販売した製品の原価を売上原価へ振り替え

借方(左)

売上原価450,000

貸方(右)

製品450,000

紗希は手帳に、今日歩いた順路をそのまま書いてみた。そして気づく。歩いたルートが、そのまま勘定のつながりになっている。

原価の川: 工場見学の順路がそのまま勘定連絡図になる
材料仕掛品製品売上原価

「これ……工場そのものが帳簿なんですね」

「そう。勘定連絡図は工場の地図なんだ。迷ったら、モノがどこにあるかを考えればいい」

数字より勘、の壁

夕方、事務所に戻ると、大柄な男性がどかりと椅子に座っていた。大森工場長。現場一筋40年の職人だ。

「本社から来たお嬢さんか。言っとくがな、原価なんて計算せんでも、わしは長年の勘で分かる。B7型ギアは1個900円ってとこだ」

郡司さんが静かに集計表を差し出した。

「工場長、先月のB7型、1個968円です。アルミの値上がりと残業のせいで」

「……なに?」

「勘は偉大ですがね、値段が動く時代は、川の流れを数字で追わんと足元をすくわれますよ」

大森工場長はしばらく集計表をにらみ、ふんと鼻を鳴らして立ち上がった。

「……お嬢さん。来月から、その『川』とやらの数字、毎月わしのところに持ってこい」

紗希は背筋を伸ばして返事をした。工場経理の仕事は、思っていたよりずっと面白そうだ。

この物語の学び

  • 工業簿記は「買って売る」ではなく「買って・作って・売る」を記録する簿記。作る過程が勘定に現れる
  • 原価はまず材料費・労務費・経費の3つに分類し、さらに製品との結びつきで直接費と間接費に分ける
  • 直接費は仕掛品へ直行、間接費はいったん製造間接費に集めてから仕掛品へ流す
  • 勘定連絡図は材料 → 仕掛品 → 製品 → 売上原価という川の流れ。工場の中のモノの動きと完全に対応している

物語で川の流れをつかんだら、教材で勘定連絡図を整理し、問題集で振替仕訳を手を動かして確かめましょう。