会計マスター

📖 ケーススタディ — 物語で学ぶ会計

赤字受注は、本当に赤字か — 貢献利益が変えた値決め会議

原価900円のハブを800円で2000個。誰もが断ると思った注文を前に、紗希は変動費と固定費を分けて考え直す。貢献利益と損益分岐点が経営判断を変えた直接原価計算の物語。

1個100円の赤字、のはずだった

「断る。話にならん」

大森工場長が見積書を机に置いた。大手自転車メーカーからのスポット注文——輸出向けシティサイクル用の後輪ハブを、2000個、1個800円で納めてほしいという話だ。

「うちのハブの製品原価は1個900円だぞ。800円で売ったら1個100円の赤字。2000個で200000円ドブに捨てる計算だ」

会議室の誰もが頷いた。ただ一人、紗希を除いて。彼女は原価計算表の内訳をじっと見ていた。900円の中身は、材料や出来高払いの加工賃などの変動製造原価が600円、そして工場の減価償却費や固定給といった固定製造原価の配賦分が300円

「工場長。この300円って、この注文を断ったら払わずに済むお金ですか」

会議室が静まった。郡司さんが、ゆっくりと身を乗り出した。

増えるお金と、増えないお金

「紗希さんの言うとおりだ。工場の固定費は月2400000円。機械の減価償却費も工場の固定給も、この注文を受けても断っても、まるごと発生する。今ラインには遊休能力があるから、残業も設備追加も要らない。つまりこの注文で本当に増える原価は、変動費の600円だけだ」

「売価800円から変動費600円を引いた200円——これを貢献利益と呼ぶ。1個売るごとに、固定費の回収と利益に貢献する金額だ。2000個なら400000円。受ければ会社の利益は400000円増える

スポット注文の売価800円の中身
変動費 600円
貢献利益 200円

全部原価計算の見方

  • 製品原価900円には固定費配賦300円が含まれる
  • 売価800円−原価900円=1個100円の赤字
  • 結論: 断るべき注文に見える

直接原価計算の見方

  • この注文で増える原価は変動費600円だけ
  • 売価800円−変動費600円=貢献利益200円
  • 結論: 遊休能力があるなら利益が400000円増える

「固定費を製品にくっつけて眺めるか、期間のかたまりとして横に置くか。それだけで結論が逆になるんだ」

損益分岐点——今月の工場は崖っぷちだった

「もうひとつ見せたいものがある」郡司さんは今月の見込みを書き出した。通常販売のハブは売価1000円、変動費600円、つまり貢献利益は1個400円で、貢献利益率は40パーセント

損益分岐点の計算
  1. 1固定費は月2400000円、通常品の貢献利益率は400円÷1000円=40パーセント
  2. 2損益分岐点売上高=固定費2400000円÷貢献利益率0.4=6000000円
  3. 3個数に直すと6000000円÷1000円=6000個。ここで利益ゼロになる
  4. 4今月の販売見込みは5500個=売上5500000円。損益分岐点に500個足りない

「見込みどおりなら、貢献利益は5500個×400円で2200000円。固定費2400000円に届かず、今月は200000円の赤字だ。だがこのスポット注文の貢献利益400000円が乗れば——」

「赤字200000円が、黒字200000円に変わる」紗希の声が少し震えた。「断るはずだった注文が、今月を救うんですね」

大森工場長は長いこと黙って表を睨み、やがて唸った。

「……60年、原価を割る注文は受けるなと教わってきた。だが『原価』の中身を分けて考えたことはなかったな。よし、受けよう。ただし条件がある。通常の売り先に800円の値が漏れないこと。値崩れしたら元も子もない」

「輸出向けの別仕様なので、国内の販路とはぶつかりません」と紗希。それが決め手になった。

会議のあと、廊下で工場長がぼそりと聞いてきた。

「じゃあ何か、変動費さえ上回れば、いくら安い注文でも受けるのが正解なのか」

「いいえ。それは遊休能力がある間だけの話です。ラインがいっぱいなら、この注文を受けるために通常品を削ることになって、1個400円の貢献利益を1個200円と取り替える損な交換になります。それに、800円が常態になったら固定費を回収しきれません。あくまで今月の、この条件での判断です」

「……条件つきの正解、か。原価計算ってのは思ったより正直だな」

納品の日の仕訳

翌月、2000個のハブが出荷された。帳簿の上でも、増えたのは売上と変動費だけだ。

スポット注文2000個×800円の売上

借方(左)

売掛金1,600,000

貸方(右)

売上1,600,000
増えた原価は変動製造原価600円×2000個だけ。固定費は1円も増えていない

借方(左)

売上原価1,200,000

貸方(右)

製品1,200,000

月次の締めで、工場の損益はたしかに黒字200000円に着地した。なお、外部に出す決算書は全部原価計算で作る決まりなので、直接原価計算の利益は固定費調整で全部原価計算の利益に直して報告する——郡司さんはそう付け加えて、分厚いファイルを閉じた。

「原価計算はな、値決めと儲けの設計図でもあるんだ。数字が経営の背中を押した。今日はいい日だよ」

この物語の学び

  • 原価は変動費(操業度に比例して増える)と固定費(受けても断っても発生する)に分けて考える
  • 貢献利益=売価−変動費。遊休能力があるなら、貢献利益がプラスの注文は固定費の回収に貢献し、会社全体の利益を増やす
  • 損益分岐点売上高=固定費÷貢献利益率。自社が分岐点のどちら側にいるかで、1件の注文の重みが変わる
  • ただし通常価格への影響や能力の限界など、数字の外の条件も併せて判断する。外部報告は全部原価計算なので、直接原価計算の利益は固定費調整で橋渡しする

物語で考え方をつかんだら、教材でCVP分析の公式を整理し、問題集で損益分岐点と貢献利益の計算を試してみましょう。